惰性で動くな

5月に入ってから連休明けまでずーっと調子が悪かった。
何か重い、眠い・・・そんな感じだった。
けれど、最終日には何故か自分自身、前向きに生きると決めた。すると復活。(ようわからんけど)

その後はなかなかに忙しく過ごしている。
色々と動き始めた感じがあって、「この波に乗りたい」という気持ちになっている。
でも、気張らずに、ただ流れに上手く乗ろうという感じだ。

その頃から感じているメッセージが「惰性で動くな」と「不快(な状態)を放置するな」である。

いつもやっている事だからやるのではなく、常に選択する必要がある。
今まで続けてきたから続けるのではなく、「今ここ」で必要なことかどうか、きちんと判断することが大事なようだ。

また、不快と感じたことを無視して放置するのではなく、自分にとっての不快を快に換えることが必要とのこと。
常に自分が快適にいられるようにしておくこと、自分がご機嫌でいることが重要。

と、メッセージを受け取ったところで、すぐに修正出来るわけではなく・・・
(メッセージを受け取るということは、自分が出来ていないってことなので(^◇^;))
実体験を通して理解していくことになる。

 

次の週のこと。

用事があって週に1度は必ず出かけるのだけど、その帰りに神社にお参りする。
そこに行くとエネルギーが上がるし、閃きがあることも多い。
いつも行くのが嬉しいし、木漏れ日の中を歩くのが気持ち良くて好きなのだ。
ところが、その日は何か違うなぁと感じていた。

少し前からだけど、参拝者が増えた。しかも初めてらしき方々。
恐らく、こちらの神社についての紹介動画を人気YouTuberたちがアップしているのを見たのだと思われる。
岩に手をあてる人が一気に増えたので。
まぁそれはいい。確かにエネルギーが出ているし、そういう方は静かにお参りされる真面目な方が多い。

その日私が驚いたのは、岩のテッペンに男性が財布やらペンダントやらジャラジャラとモノを載せていたのである。
こんな光景は初めて見た。
流石にそこでお参りしようという気にはなれず、見ないフリして、その人が居なくなるのを待ってからお参りしたのだけど・・・何も感じなかった。いらっしゃらないのも無理はない。
今日はいつものように嬉しく感じなかったのは、そういうことだったのね。

 

そこで気付かなければいけなかった私。

 

懲りずに昨日も参拝に行ってしまったら、どうだったか。

さらに人が増え(パワースポット観光らしき方々)、人がお参りしているすぐ横で、平気で大声で喋り続けている人・・・だらけ。
いつもは一人でゆっくりお参り出来る場所も、入れ替わり立ち替わり人が来る。

ああ「惰性で動くな」ってことですね。f^_^;)

「来なくてもいい。いつでも繋がれるのは知ってるやろ。」

「あんたはもう大丈夫やから。」

と言われた感じがして氣を強くした。

また必要だと思った時は行けばいいし、そうじゃなかったら行かなくていい。
考えてみれば当たり前のことだよなー。ハハハ

 

そしてもう一つ、大切なことを思い出した。
昔、小笠原さんに教えていただいたこと。初詣に行ってはいけない。

お正月、特に三が日に神社やお寺に大勢の人が参拝に行く。
人が多いということは、それだけ人の願い、欲望、念がその場に集まっている。
それを狙った見えない存在たちも神社の周辺に寄ってくるらしい。
(神社は結界が張ってあるので、そういう輩は中には入れない)
なので、神社を出た途端に、いろんなゴミを拾ってしまう(憑かれる)可能性が高いというのだ。
その話を聞いてから初詣には行っていない。

なんと、先日読んだ「となりの小さいおじさん」の本にも同様のことが書いてあった。

 

そして今朝。
目覚めの瞬間に受けた言葉は「君子危うきに近寄らず」。
これが頭の中をリフレインしていたのだった。ウケる🤣

はい、肝に銘じます。