ここのところ小笠原理論(天縄文理論)について、いろいろと書いてきているが、私が「小笠原先生」と書かず「小笠原さん」と書くのには理由がある。
まず、小笠原さん自身から「先生と呼ばないでください」と初めに言われている。
何故なら、簡単に言うと「ゴミがつくから」ということだった。
本当に心から尊敬して「先生」と呼ぶには、ほぼ問題ないのだけど、世の中には特定の職業だから、自動的に「先生」と呼ぶことが多々ある。
ほとんどの場合は、あまり考えずに「先生」と呼んでいると思うが、中には尊敬どころか、マイナスの感情を持って呼ぶ人もいるのである。
実際、私はそういう体験(先生と呼ばれた)をしたことがあるので、この話の意味はすぐに理解できた。
私がまだ20代前半の頃、建築の設計事務所に勤めていた時のことである。
所長が留守のため、私が営業の方の対応をすることになった。
建材メーカーの方だったと思うが、私よりずーーーっと年上の男性だった。が、いきなり私に向かって「先生ね」と言って話し始めたのである。
き、気持ち悪ぅ〜
と思いつつ、「先生はやめてください」と言う勇気がなかった私は、物凄い居心地の悪さの中で、取り敢えず話を聞くことに集中した。終わった後、どれだけ疲れたことか。
この気持ちの悪さの原因って、まさに「先生」なんて口先だけで、むしろおちょくってますよね?ってこと。
「先生」という言葉を発する時に、心からの尊敬の気持ちが無ければ、その言葉には、逆にマイナスの波動が乗ってしまうわけである。
それを小笠原さんは「ゴミ」と呼んでいた。
そして、この「ゴミ」を受けて、溜め込んでしまった場合には、本人自身もおかしくなってしまうことがある。
自分が偉くなったような勘違いをして、気持ち良くなってしまう人がいるのである。
「先生」と呼ばれる全ての人がそうなるわけでは、もちろんない。
ほとんどの人は、至ってマトモなのだけど、中にはマイナスの波に溺れてしまう人もいるのである。
本人は気づかないので、厄介である。
それを避けるためにも、小笠原さんは「先生と呼ばないで」と言っていた。