自分の周り全てに対し、真摯に向き合おうとしても・・・ムリなものはムリである。
そういう姿勢は大事ではあるけど、時間だってエネルギーだって無限ではない。
自分の時間とエネルギーを何に使うかは選択しなくてはいけない。
場合によっては避けることも必要だったりする。
でも逃げてはいけないときがある。
それにどう対峙するかで、人生が大きく変わることもある。
私は中学生のとき、1ヶ月ほど学校に行けなくなったことがある。
(元々休みがちだったのだけど・・・それはまた別に書くとして)
当時は「不登校」なんて言葉はなく、「登校拒否」という言葉をTVで耳にするようになる直前ぐらいの頃。
教師への不信感からだった。
と、今では一言で言ってしまえるけど、そのときは上手く説明出来なかった。
何を言っても誤解されて、勝手にコトが運んでしまうような気がして、誰にも理由を言えなかった。
親は「転校なんてさせない」の一点張り。
どこへ行ったって同じことだと考えていたのだろう。
まぁ、実際そうだったかもしれない。
自分の部屋に引きこもり、親との関係も悪化するばかり。
将来への不安もどんどん募っていき・・・
いたたまれなくなって、ある日家を出た。あてもなく。
あてもなくが良かったのか悪かったのか・・・
今思えば、「何も考えてなかったんかい!」とツッコミ入れたくなるところ。
でもそのおかげで(?)、逃げ場なんかどこにもないんだということを十数時間の外出で悟ったわけだ。
その翌日から、私は登校するようになった。
問題はいろいろ、本当にいろいろあったけど・・・前に進むと決めたのだ。
「逃げ場なんてどこにもない」
それ以来、この言葉がずっと私の心の底に沈んでいる。
学校へ行かなくちゃいけないと言っているわけではない。
むしろ学校へ行くことはそんなに重要ではないと思っている。
どうしようもなくなったとき、一時的に避難することも大事だと思う。
でも避難は、あくまで「一時的」なもの。
いつか必ずそこを出て進まなくちゃいけない。
避難が長引くほど、一歩を踏み出すことが難しくなる。
それはきっとみんな十分わかってるはず。
わかってるからこそ、不安がどんどん募っていく。
でもチャンスは必ずあるはず。
私の頃と違って、今の時代は踏み出す方向もいろいろあると思う。
学校に戻るだけが道じゃないし、大人だって、どこかに就職するだけが道じゃない。
出来そうなこと、興味を持ったことをとりあえずやってみて、そこから考えればいい。
先に何が起こるかなんて誰にもわからないんだから。
私、実は大人になってからも、一度引きこもりに近い状態になったことがある。
キッカケは、会社の事情でやむを得ず勤めていた会社をやめたこと。
その後目標をなくしてしまった。
それまでは常に何かに向かって進んでいたのに、何もなくなってしまい、目標を持てなくなってしまったのだ。
探しても探しても何も見つからず・・・苦しかった。
そんなある日、「インターネット」という言葉を耳にし、「それって何?」と本を買って読んでみた。
まさに「インターネット」というタイトルの新書。
一気に読んで「すごい!!」と興奮してダンナに伝えたら、速攻でネット環境を整えてくれ、「ホームページ作ってみたら?」とホームページの作り方の本(当時、HP作成ソフトなんてまだなかった)を買ってきてくれた。
もうそれからは夢中で独学の日々。
結局、再就職することなく、フリーで仕事をするという流れになった。
これはとってもラッキーだったと思う。
でも、就職に拘っていたら、そうはならなかったかもしれない。
自分で仕事をするなんて、やっぱり怖いし。
ダンナに勧められなかったら、そういう発想もなかったと思う。
ちょっと見方を変えてみるというのはすごく大事だとつくづく思う。
行き詰まったときは特に。
発想の転換と少しの勇気。