神社で「お願い」してはいけない

ほとんどの日本人は神社に行ったことがあるだろう。
うちは父が仏教、母がキリスト教徒だったが、お正月には初詣に行っていた。
子どもの頃はお参りの仕方がよくわからず、他の人がするのを見様見真似でやっていた。たぶん、両親もよく知らなかったのだろうと思う。知ってたらちゃんと教えてくれたはず。

手水舎での身の清め方とか、拝殿で二礼二拍手一礼することとか、大人になってから知ったことだ。
今ではネットで簡単に調べられるし、TVの旅番組なんかでもよくやっているので、知っている人は多いと思う。
なので、その辺の常識的なことはここでは書かない。

ちょっと話が逸れるが、神社に行ったときに意識してみると面白いと思うのが鳥居である。
鳥居は外界と神域を区別するためのもの、つまり結界なのである。
鳥居をくぐる前(外)と後(内)で、空気感や音の聞こえ方が違う。境界で圧力を感じることもある。大きな神社では、参道の途中にいくつか鳥居があったりするが、鳥居ごとに結界が強くなっていく。
機会があれば是非、参拝者の少ないときに、じっくり感じてみると面白いと思う。

話を戻そう。本題はここから。
本殿(拝殿)でお参りをするとき、お賽銭を入れて、二礼二拍手して手を合わせ・・・それからどうしますか?

心の中で
「○○なりますように」
「○○できますように」
などとお願いしていませんか?

そのお参りの仕方は間違いなんです。

ここですべきは
「○○なりました。おおきに」
「○○できました。おおきに」
というふうに、願いが叶ったことを報告して感謝すること。
まだそうなっていなくても、願いが叶ったとして先にお礼をするのである。

これは昔、スピリチュアル系のセミナーに行ってたときに教えてもらったことだけど、最近では量子論や脳科学の世界でもよく出てくる話のようだ。
「○○なりますように」と願う行為は、今現在の自分がそういう状況にないことを認めてしまっているわけで、その意識を覆すのはすごく難しい。
そうではなくて、自分の望む姿をできるだけ具体的に思い描いて、その自分になりきって、お礼をする。
意識の上で、自分をそこまで持っていってしまうことが大事なのである。

これ、簡単に言うけど、結構難しい。
でも自分でそこまでできれば、後は神さまに背中を押してもらえばいいわけだ。逆に言えば、本気でお願いするならそれぐらいやっておけって話である。

そして、感謝の言葉についていえば「ありがとう」より「おおきに」の方がいいらしい。
「ありがとう」というと、有り難いこと、めったに無いことが起こり、それに対してちょっと捻った言い方で感謝を伝えようとしている。感謝の意として使われるようになったのは、江戸時代以降のようだ。それよりも、古くから使われている「おおきに」の方が神さまには伝わりやすいそうだ。
言葉は時代とともに変化していくものだが、若者言葉が年配の人に解りづらいのと同じと思えば納得がいくかもしれない。力になってもらいたいなら、伝わりやすい言葉を使う方がいいというわけだ。

最後にもう一つ。
お参りのときに拝殿で鈴を鳴らしたり、柏手を打つのは、神さまを呼ぶため。なので、こちらに注意を向けていただけるよう、心を込めてしっかりと音を出す。これ大事。

神さまに振り向いてもらうという意味でも、大勢の人がお参りに行く日、時間帯は避けた方がいい。できれば早朝に行くこと。心落ち着けて、神さまと、そして自分と、向き合う時間を持つことが本当のお参りなのだと思う。