自分軸、他人軸という言葉を最近よく目にする。
自分軸で生きるとは、自分の気持ちを大切にし、自分で考えて決断し、自分で責任を持つ、自由な生き方といえる。
一方、他人軸で生きると、自分の気持ちよりも他者や社会の「正しいとされること」を基準にするため、周囲の価値観に左右されてしまう。
地弥生時代の最後、昭和の時代の日本社会は他人軸で生きた方が生きやすい時代だったが、天縄文時代に入ってからは様子が変わってきている。
価値観というのは時代とともに変化していくものだが、今のような大きな時代の変わり目には、その変化というものが激化している。
そんな時に他人軸で生きていると、振り回されて疲弊してしまうのがオチである。
ここで誤解されると困るのは、自分の気持ちを優先して自由に生きることは我儘に振る舞って良いということではない。
責任というのは他者や社会に対するものであることを忘れてはいけないということ。
逆に他人軸でいると、責任を放棄し、他責思考になりがちだが、結局のところ自分の行動は自分に返ってくる。
これが宇宙のルールなので、誰も逃れようがない。
ではなぜ昭和の時代はそれが通っていたのかというと、嘘や誤魔化しが許されていた時代だから。
地弥生時代は精神性よりも物質的な進化を優先させるのが目的だったので、世の中がそこに合わせたルールになっていたのである。(宇宙のルールとは別)
しかし、天縄文時代は物質よりも精神性が優先されるので、嘘や誤魔化しは通用しない。
時代が変わってからというもの、不都合な真実がどんどん明るみに出ている。
インターネットの普及がキッカケであるのは間違いないが、インターネットが普及し始めた時期が時代が切り替わった時期と一致しているのは面白い事実だと思う。
この30年ほどの間、前もって小笠原さんから伺っていたこのような時代の変化を冷静に見てきたからこそ、今の私が伝えられることがあるのではないかと思いブログに書いている。
あ、ちょっと話がズレた。
とにかく、既に自分軸で生きている人は時代に乗ってどんどん楽になっていくだろうし、他人軸で生きている人はますますしんどくなっていくだろう。
どう生きるかはもちろん個人の自由なので、どちらを選んでもいいわけです。
これを切り替えるには相当な覚悟もいるし大変なことだけど、先の自分がどうなりたいか、どうありたいか、深く考えてみる価値はあると思う。