やっと・・・泣けた

最愛の夫が旅立った。
自分がバラバラになった。

本人たちは「闘病」という意識はあまりなかったけれど、
振り返ってみれば、長年そうだったのだなと思う。

3年前に大きな手術をしてからは、細かな作業が出来なくなったり、
車の運転が出来なくなったりと、思うようにいかないことが増えた。
手が不自由ながらも料理を作ってくれたりはしていたのだけど、
最後の数ヶ月はそれもしんどいのか億劫なのか、パッタリしなくなった。

しんどそうな様子に励ましながらも、内心、不安が増すばかりだった。

ハッキリ言って、自分が死ぬのは怖くない。
肉体と意識は別物で、分離することは実体験から知っているから。
それでも、大切な人を失うのではないかというのは
とてつもない恐怖でしかなかった。

その時が来て、この恐怖からは解放されたわけだ。そう思った。
解放感は同時に当然ながら喪失感となり、いや、喪失感さえ持てないぐらい
現実がどこにあるのかもわからない。

とにかく、葬儀屋との打ち合わせに始まり、あれもこれもと
色々とやらなきゃいけないことを片付けていき、
毎日「ちゃんと暮らさなきゃ。日々をちゃんと過ごさなきゃ。」と
自分に言い聞かせながら、最初の月命日が訪れた。

この1ヶ月が長かったのか短かったのかもわからず、
一体何をしているのか、何処へ向かうのかもわからず、
ただただ、日々を過ごしている。

そして月命日が過ぎたあたりから、自分の心が動かなくなっていることに気づいた。
段々と心が固まっていくような感覚。
でも一体どうしたらいいのか、自分でもわからない。泣くことさえ出来ないのだ。

そんな状態で1週間ほどを過ごした時、20年来の友人が訪ねてくれた。
顔を見るなりハグしてくれて、涙が溢れ出た。
「あんたのことやから、我慢してると思って。」
「泣かなアカンよ。溜めてたらアカン。」
「悲しみを表現しないとダメ。」
「我慢したら、どんどん心に澱が溜まっていくねんで。」
やっと・・・本気で泣いた。

彼女はそっと、数時間付き合ってくれた。

そういえば、亡くなった時に病院では泣いたけど、
その後、号泣したのはたぶん2回だけ。
それも10分、20分、そんなもんだと思う。
涙ぐむことはしょっちゅうだけど、いつも堪えてしまう。
本気で、しかも数時間も泣いたのは今回が初めてだ。

やっと少し心が解けたような気がする。